『鬼滅の刃』遊郭編より。妓夫太郎(ぎゅうたろう)の「禍福は糾える縄の如しだろ」というセリフ。『愛の不時着』でリ・ジョンヒョクさんが同じようなことを言っていました。
妓夫太郎の言葉は切なく、胸が締め付けられる思いがしましたが、ジョンヒョクさんの言葉には希望の光が射します。言葉の意味と読み方について調べたら、人生の教訓がみえてきました。
『鬼滅の刃』妓夫太郎のセリフ
『鬼滅の刃』遊郭編。花街の最下層に生まれた妓夫太郎(ぎゅうたろう)は、妹の堕姫(だき)と劣悪な環境で地獄のような日々を生きる。13才のとき、生きたまま焼かれた堕姫。瀕死の妹を抱く妓夫太郎が吐き出す言葉が切ない。
いつだって助けてくれる人間はいなかった
どんな時だって全てが俺たちに対して
容赦をしなかったどうしてだ?
“禍福は糾える縄の如し”だろいいことも悪いことも
「鬼滅の刃」より
かわるがわる来いよ
炭治郎と禰豆子、妓夫太郎と堕姫。
鬼になった妹を救うために闘う炭治郎。
鬼になってでも妹を救いたかった妓夫太郎。
二組の兄妹は何が違ったのでしょうか。人間と鬼。敵対する立場にありながら、愛する妹のために必死に闘う優しく強い兄の姿が重なりました。
「禍福は糾える縄のごとし」読み方と意味は?
禍福は糾える縄のごとし(かふくはあざなえるなわのごとし)
参考:広辞苑
[史記南越伝、賛、「禍に因りて福と為す、成敗の転ずるは、譬うれば糾える纆の若し」]
この世の幸不幸は、より合わせた縄のように、常に入れかわりながら変転する意。
「禍福」はわざわいとしあわせ。
「糾う」は縄などをよること。
同じ意味の言葉に、
吉凶は糾える縄の如し(きっきょうはあざなえるなわのごとし)があります。
この世の幸と不幸は表裏をなすものであることをたとえています。
「禍福は糾える縄のごとし」誰の言葉?
禍福はあざなえる縄のごとし
出典は『史記・南越伝』。史記(しき)は中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された歴史書です。
災いの後には幸せが来る『愛の不時着』より
韓国の人気ドラマ『愛の不時着』にも、「禍福はあざなえる縄のごとし」と同じようなセリフが出てきました。
『愛の不時着』は2020年の流行語大賞にもランクイン。不慮の事故で北朝鮮に不時着してしまった韓国の財閥令嬢と北朝鮮の堅物の将校の間に芽生えたロマンスを描いた大ヒットドラマ。
第2話で、「知らない人の前で大泣きすることになるなんて」と泣くユン・セリに、「気にするな。もう見てない」って指でロウソクを消すリ・ジョンヒョクさん。指!? 指って…もう、おばさんのツボを知ってらっしゃる 笑
ずっと強がっていたユン・セリが初めて弱音を吐き大号泣。そんな彼女にかけた言葉です。
災いの後には幸せが来るものだ
何とかなる。きっと
本当に?
本当だ
…
ユン・セリのセリフはありませんでしたが、私には「キュン」と聞こえましたよ。うん。
欲しいときに欲しい言葉をくれるジョンヒョクさん。真っ暗闇だったセリの心の中に、ロウソクの炎のように希望の光が灯ったことでしょう。
後のインタビューで、好きなセリフを聞かれたリ・ジョンヒュク役のヒョンビンさんがこの言葉をあげていました。
『愛の不時着』には二人の胸キュンな名言が散りばめられていて、ときめきポイントがたくさん。ボディガードのように彼女を支える包容力とツンデレなギャップにときめかない人はいるでしょうか。二人を取り巻く登場人物も魅力的。日本に韓流ブームを巻き起こしたのも納得の名作です。
「禍福はあざなえる縄のごとし」類義語は
- 人間万事塞翁が馬
(にんげんばんじさいおうがうま) - 沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり
(しずむせあればうかぶせあり) - 楽は苦の種、苦は楽の種
(らくはくのたねくはらくのたね) - 楽あれば苦あり
(らくあればくあり)
国民的テレビ時代劇『水戸黄門』でも「人生楽ありゃ苦もあるさ」と歌っていましたね。涙の後には虹も出る…と。長い人生には悪いときもあればよいときもある。悪いことばかりが続くものではないと黄門様に教わりました。
苦は楽を、楽は苦をそれぞれのうちに含み持っている。苦楽は相伴うもので、どちらか一方だけということはないのですね。
まとめ
【鬼滅の刃】にも出てきた『禍福は糾える縄のごとし』の読み方は「かふくはあざなえるなわのごとし」。意味は「この世の幸不幸は、より合わせた縄のように、常に入れかわりながら変転する」でした。
類義語は、
- 人間万事塞翁が馬
- 沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり
- 楽は苦の種、苦は楽の種
- 楽あれば苦あり
良いときはそれに甘んじて油断することなく、悪いときも希望を捨てずに進めるように。心に留めておきたい言葉です。